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鈴木姓のルーツ

鈴木屋敷=鈴木姓のルーツ

藤白の鈴木氏は平安時代の終わりころ、熊野からこの地に移り住み、上皇などの熊野参詣の際の接待などをおこなうとともに、ここを拠点に全国3,300あると言われる熊野神社を建立し、熊野信仰を広めました。

その後も藤白鈴木氏は1942年まで122代にわたり、藤白王子社の管理を行うなど深い繋がりを持っていました。

神武天皇東征の時、鈴木家の祖先が天皇に稲を献じたので「穂積」という姓を頂いたが、この地では稲を積み重ねたものを「すずき」と言ったことから「鈴木」になったと言われています。

また、熊野権現の神木ナギ枝に鈴を付けて、神武天皇一行を案内したことに由来するという説も。

ちなみに、衣川で源義経と討ち死にした家来の鈴木三郎重家と、亀井六郎重清兄弟も藤白地区の出身。

義経がこの地を訪れた時の義経弓立松や池泉式庭園も有名です。

和歌山の戦国武将であり、鉄砲集団・雑賀衆の頭領である雑賀孫市も本名は鈴木です。

鈴木屋敷は1,969㎡の敷地に座敷棟・玄関棟などからなる建物と池泉庭園、前庭から構成されています。

建物の一部は江戸時代の後期に建てられたもので、池泉庭園は室町時代末期と考えられています。

江戸時代の『紀伊国名所図会』に描かれた敷地内の配置や建物の様子は大きな改変を受けることなく現在に受け継がれています。

鈴木サミットの経過

藤白の鈴木氏は平安時代の終わりころ、熊野からこの地に移り住み、上皇などの熊野参詣の際の接待などをおこなうとともに、ここを拠点に全国3,300あると言われる熊野神社を建立し、熊野信仰を広めました。

その後も藤白鈴木氏は1942年まで122代にわたり、藤白王子社の管理を行うなど深い繋がりを持っていました。

神武天皇東征の時、鈴木家の祖先が天皇に稲を献じたので「穂積」という姓を頂いたが、この地では稲を積み重ねたものを「すずき」と言ったことから「鈴木」になったと言われています。

また、熊野権現の神木ナギ枝に鈴を付けて、神武天皇一行を案内したことに由来するという説も。

ちなみに、衣川で源義経と討ち死にした家来の鈴木三郎重家と、亀井六郎重清兄弟も藤白地区の出身。

義経がこの地を訪れた時の義経弓立松や池泉式庭園も有名です。

和歌山の戦国武将であり、鉄砲集団・雑賀衆の頭領である雑賀孫市も本名は鈴木です。

鈴木屋敷は1,969㎡の敷地に座敷棟・玄関棟などからなる建物と池泉庭園、前庭から構成されています。

建物の一部は江戸時代の後期に建てられたもので、池泉庭園は室町時代末期と考えられています。

江戸時代の『紀伊国名所図会』に描かれた敷地内の配置や建物の様子は大きな改変を受けることなく現在に受け継がれています。

1980

昭和55年

NHK・正月特別番組で鈴木健二アナウンサー担当≪全国鈴木さん初詣で≫と題してJR特別列車を天王寺駅から海南駅まで走らせ、藤白神社参詣風景が放映され、鈴木姓のルーツが話題になるきっかけとなりました。

1998

平成10年

第一回全国鈴木サミット

NHK・正月特別番組で鈴木健二アナウンサー担当≪全国鈴木さん初詣で≫と題してJR特別列車を天王寺駅から海南駅まで走らせ、藤白神社参詣風景が放映され、鈴木姓のルーツが話題になるきっかけとなりました。

1999

平成11年

第二回全国鈴木サミット

鈴木一族のルーツで藤白鈴木宅を境内に有する藤白神社で「お帰りなさい、故郷藤白の里へ』と題して開催されました。鈴木三郎重家の後裔で秋田の鈴木家当主「(重家より45代目「秋田県羽後町)と鈴木三郎重家の妻、小森御前の後裔、西條氏「(41代目「宮城県志津川町)が、故郷となる藤白神社で杯を交わし、昔を偲びました。

2001

平成13年

第三回全国鈴木サミット

加賀一向一揆の本拠地「加賀の国最後の砦、鈴木出羽守が城主として、織田信長と戦った石川県鳥越城跡のある、鳥越村で開催されました。一向一揆祭りと同時開催し鈴木三郎重家と鈴木出羽守の後裔が戦国武将に扮し、輿にのり行列に参加しました。

2002

平成14年

第四回全国鈴木サミット

鈴木家宗家のある海南市の藤白神社で、昭和17年に没した藤白鈴木家宗家122代鈴木三郎重吉はじめ先祖代々追善法要を兼ねて開催されました。法要後熊野三山を巡りました。熊野速玉大社では宮司より「当社の元宮である神倉山に熊野権現が降臨されたときに、宇井、榎本、鈴木がお迎えしてお祀りしたと言う歴史(熊野権現緑紀)があり、こうしたルーツがはっきりした家柄は全国的にまれである。』とのお話がありました。

2004

平成16年

第五回全国鈴木サミット

海南市藤白神社で三度目が開催されました。紀伊山地の霊場と参詣道が世界遺産に登録されたことを祝って熊野三山めぐりを行いました。

2006

平成18年

第六回全国鈴木サミット

九州天草の鈴木神社正式参拝の旅を行い、ホテルアレグリアで交流会を行いました。熊本県天草で当時郡民の崇敬を一身に集めた初代代官、鈴木重成と鈴木重三さらに、二代代官重辰を御祭神とする鈴木神社のある天草での開催となりました。

2013

平成25年

第七回全国鈴木サミット

全国の鈴木さんに一人でも多く鈴木姓のルーツを知ってもらう機会として、再度海南市で開催されました。鈴木サミット&フォーラムとして、スズキ自動車の鈴木修会長兼社長に基調講演をお願いし、参加者は二日間で延べ900人を数えました。現在の鈴木屋敷の建物は、江戸末期から明治の建築様式を残していますが、老朽化が進み今にも崩落の状況にあります。パネル ディスカッションでは、平安時代「(1150年ごろ)この地を拠点として活躍した鈴木一族の貴重な歴史史跡とともに、当時の武家屋敷を一日も早く復元することにご支援の輪を、広げることを願って閉幕いたしました。

2024

令和6年

第八回鈴木サミット

令和5年「(2023年)に鈴木屋敷が復元され、更なる認知の拡大に向けた“話題化”を最大の目的として開催されました。当日の鈴木屋敷の拝観料を「鈴木さんは0円、佐藤さんは5万円」としたほか、参加者には魚のスズキや砂糖菓子を添えた「スズキの共食い、佐藤を喰らえ!」定食を提供し、佐藤姓発祥の地とされる栃木県佐野市から「佐藤の会」事務局の方々をお招きするなど、話題化に努めたところ、多くのメディアで取り上げられました。

鈴木屋敷の利用方法

住所〒642-0034 和歌山県海南市藤白486
電話073-482-1123
開館時間10:00~16:00
拝観料お一人300円
開館時間9:00~17:00(鈴木屋敷は10:00~16:00)
※上記時間以外にも神社への参拝は可能ですが、無人となります。
休館日月曜と火曜(休日の場合は除く)、年末年始

お願い

  • ペットを連れて館内に入場することはできません。
  • 館内は全面禁煙です。
  • 館内の植物の採集・持ち出しはできません。
  • 館内での飲食はできません。
  • 建物・庭園の使用、営利目的等の撮影は事前許可が必要です。

鈴木屋敷復元の経緯

  • 平成27年10月 国史跡指定
  • 平成30年度~令和2年度 発掘調査・解体調査・整備計画・設計
  • 令和3年度~令和4年度 建物及び庭園保存修理・復元整備工事
藤白王子跡Museum