平安時代末期に藤白鈴木氏が登場して藤白王子が栄えた頃の目に見える証拠が、現在も権現堂に残る熊野三山本地仏坐像です。本地仏とは、熊野信仰のベースともいえる神仏習合の考え方でいうところの神様の本当の姿である仏様のことです。仏様が本当の姿であるならば、神様は仏様の権(かり)の姿ということになります。神様は権(かり)に現れるから「権現」です。藤白神社は明治時代までは藤白若一王子権現社と称しました。